市民が憩う公園が国宝級? 大坂城跡と並ぶ特別史跡・枚方の百済寺跡の謎に迫る

大阪府内で「特別史跡」に指定されているのは大坂城跡と、ここ百済寺跡のたった二ヵ所のみ。現在は静かな史跡公園となっていますが、約1250年前には百済国王の末裔である百済王氏による寺院と計画的な都市が広がっていました。枚方に残る、知られざる古代史の舞台を歩きます。

北河内エリアに位置する枚方市は、大阪と京都のちょうど真ん中という旅に便利なロケーションで、都市の活気とローカルの穏やかさが心地よく調和する街です。

中でも注目したいのが、朝鮮半島にあった古代国家・百済(くだら)と深い縁を持つ「百済寺跡(くだらでらあと)」。大坂城跡と並ぶ貴重な特別史跡で、今も残る礎石からは当時の寺院のスケールを感じ取れます。

今回はオーストラリア出身のキラさんと一緒にこの歴史の舞台を探索。当時の寺院がイメージできる「百済寺跡WebAR体験ガイド」も楽しみながら、百済王氏が枚方に残した足跡をたどります。

百済寺跡

Guide

キラ

オーストラリア・アデレード出身の28歳。大阪に暮らして1年。現在はバリスタとして働いている。日本で一番好きなものは、美味しい食べ物とカフェ文化。料理をすることや、時間があるときに自然を探検することも楽しみのひとつ。

市民が憩う公園だと思ったら特別史跡? 百済寺跡の謎を解く鍵を探しに

宮之阪駅

まずは京阪交野線・宮之阪駅からスタート。ローカルな空気が流れる小さな駅を降り8分ほど歩くと、今回の目的地である百済寺跡が見えてきます。

百済寺跡の歴史を知る前に、まずは見ていただきたいものがあります。

百済寺跡

それがこちらの写真。これから見に行く、現在の百済寺跡の様子です。

一見すると広場と、ところどころに残る礎石だけ。寺院を想起するような塔もお堂もなく、「一体ここに何があったの?」と思ってしまうかもしれません。

それでもこの場所は、壮大な大坂城跡と肩を並べる「特別史跡」に指定されています。

なぜ、この何もないように見える場所がそこまで重要なのか。その疑問こそが、百済寺跡をめぐる歴史を紐解く入り口になります。

百濟王神社

その答えを探るため、まず立ち寄ったのは百済寺跡に隣接する「百濟王神社(くだらおうじんじゃ)」。

8〜9世紀に活躍した百済王氏(くだらのこにきしし)などを祀り、百済ゆかりの歴史を今に伝える神社です。

今回は神主さんにご協力いただき、百済王氏とはどんな人々だったのかを探っていきます。

滅亡の国・百済の王族の末裔である百済王氏と枚方の始まり

百濟王神社

歴史をさかのぼることおよそ1400年前の6世紀前半。朝鮮半島の南西部にあった百済と呼ばれる古代国家は当時、日本と深い交流を持っており、仏教や建築などの技術、文化をもたらし、多くの影響を与えていました。

しかし7世紀後半、百済は中国の唐(とう)と朝鮮半島の新羅(しらぎ)の連合軍との戦いに敗れて滅亡。多くの人々が故国を追われ日本列島へと渡ってきました。

それらの人々を束ねる存在として、当時難波にいた王子・禅広を中心とした氏族・百済王氏が誕生します。

やがてある出来事をきっかけに日本の政治の中枢とも深く関わるようになり、枚方の地へと移り住みます。

金銅製飾金具
金銅製飾金具。提供:枚方市

その背景にあったのが、陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡涌谷町)で金が採掘できることを発見し、黄金900両(約13㎏)を天皇に献上したという百済王敬福(くだらのこにきし・きょうふく)の功績でした。

百済王敬福は禅広の曾孫にあたり、朝廷から命を受け陸奥守(むつのかみ)※として東北地方に派遣されていました。

※陸奥守:陸奥を治めていた国司(長官)で、現在でいう県知事のような役目を担っていた。

そこで敬福が見つけた金が、当時奈良で建立が進められていた大仏の仕上げに用いられました。この出来事は、聖武天皇が喜んで年号を変えるほどの重要な出来事であったことが知られています。

大阪府指定有形文化財 小型塼仏。
大阪府指定有形文化財 小型塼仏。提供:枚方市

その功績により、敬福は従三位まで昇進し河内国を治める河内守に任ぜられました。これを機に百済王氏の一族は、現在の枚方周辺へと拠点を移したと言われています。

※河内国:現在の大阪府東部。

その後、百済王氏一族が、都が奈良・平城京から京都・平安京へ移るという日本史上の大きな変革の中で、天皇から厚遇され枚方で活躍した歴史は、史料からも読み取れます。

百済王敬福の孫・百済王明信(くだらのこにきし・みょうしん)は平安京へ遷都した桓武天皇の寵愛を受けており、天皇は鷹狩を楽しむために百済王氏らのいる枚方周辺をたびたび訪れたことが当時の歴史書、続日本紀、日本後記に記録されています。

※枚方市内に「禁野」という地名がありますが、鷹狩が地名の由来にも大きく関係しています。この禁野とは天皇専用の狩り場のことで、ほかの人々の狩猟を禁止したため、こう呼ばれました。

また、天皇は百済王氏にさまざまな特権を与え、最上級氏族として厚遇します。そのなかで、百済寺は国が建てた寺院と同じような扱いを受けていました。

このように百済寺は、当時の権力中枢と関わりの深い場所であり、枚方という土地が選ばれた背景には古代の都の人々のこうした特別な位置づけがあったと考えられています。

百済寺跡へ向かう前に。百濟王神社で旅の安全を願う祈祷体験

百濟王神社

神主さんから百済王氏とこの地の歴史について話を聞き、百済寺跡がなぜ特別な場所なのか、その輪郭が少しずつ見えてきました。

いよいよ実際に百済寺跡へ――と向かう前に、せっかくの機会なので、旅の安全を祈願していただくことに。

百濟王神社で祈祷体験する様子

百濟王神社は、百済王氏ゆかりの神社として知られていますが、祭祀は日本古来の神道に基づいており、地元では古くから暮らしを見守る氏神として信仰されてきました。

日本古来の神と大陸から伝わった神仏が融合する「神仏習合」という日本独自の宗教思想の一端が垣間見えます。

柄杓
年間を通して季節ごとの神事や行事が執り行われ、地域の人々にとって身近な信仰の場として親しまれています。
おみくじやお守りの授与所
おみくじやお守りの授与所も設けています。
百濟王神社の境内の様子
境内は緑が多く開放感があり、静かな空気に包まれた心地よい空間。参拝だけでなく、ゆっくりと散策しながら過ごすのもおすすめです。

金にまつわる百済王氏の史実から、商売繁盛や事業成功、家門繁栄のご利益があるとされるほか、武人としても活躍した百済王氏にちなみ、必勝成就や旅行安全を願う人も多いそうです。

境内には厄除けや疫病退散の神として知られる進雄命(すさのおのみこと)も祀られており、幅広い願いごとに応えてくれる神社とされています。

祈祷体験の様子
社殿に響く祝詞と、静かに進む神職の所作。厳かな空気のなかで祈りを捧げるひとときは、旅の途中で心を整える、印象深い時間となりました。
授与品
祈祷を受けたあとは授与品をいただきました。この日受け取ったのは、お砂糖や御神酒飴、そしてお守りと絵馬。いずれも旅の安全祈願の証として授与されるものです。

百済王氏がただ日本に渡ってきた人たちではなく、日本の歴史そのものに深く関わっていた存在だと知って驚きました。ご祈祷では太鼓の音が鳴り響き、神職が唱える祝詞はとても神秘的。日本の神社ではこうした形で祈りが捧げられているのだと知ることができ、文化を理解するきっかけにもなりました。

百濟王神社で紐解かれたのは、百済王氏と枚方の深い結びつきでした。

先ほど聞いた百済王氏の物語を思い起こしながら、「一見すると市民の憩う公園」が持つ歴史と意味を確かめに、いよいよ実際に百済寺跡を見学します。

百濟王神社
住所:大阪府枚方市中宮西之町1-68
Google Map
受付時間:9:00~16:00
※祈祷は日時によって対応できない場合があるためなるべくご予約ください。
電話番号:072-840-2624

大坂城跡と並ぶ理由。特別史跡・百済寺跡を歩く

百済寺跡

百濟王神社と隣り合う位置にある百済寺跡。

これだけを見ると建物の土台のようなものや塀などがあるだけで、現在の様子から当時の百済寺の姿を想像するのは難しいかもしれません。

俯瞰図
画像は枚方市公式サイトより。提供:枚方市

そこで、まず見ていただきたいのが当時の様子をイメージして復元された俯瞰図。

寺の範囲は約140m四方を築地塀で囲われ、中門と金堂を結ぶ回廊の内側に東西2基の塔が並んでいました。

この伽藍配置は、奈良の薬師寺にも見られる「双塔式」と呼ばれるものです。

建物の基礎や構造などに当時の最新技術が用いられていたことから、百済寺が当時、格式の高い寺院であったことがわかります。

基壇

では、先ほどのイメージ図を念頭に、実際の百済寺跡を巡ってみましょう。初めに見たこれは、塔の基礎を高く盛り上げた基壇であったようです。

現在は塔の基礎である基壇部分のみが復元されていますが、イメージ図で見た配置と照らし合わせることで、当時の建物の姿が少し見えてきました。

円形の礎石

実際にその上に登ってみると、想像以上に広い間隔で円形の礎石が配置されていることに気づきます。

この礎石の上に当時、太く大きな柱が立っていて、約24mもの高さの三重の塔が建っていたと推定されています。

東塔のイメージ図

こちらが東塔のイメージ図。透明なアクリル板に当時の塔の姿が描かれており、少し位置を調整して眺めると、復元整備された東塔の基壇の跡と重ね合わせて見ることができます。

礎石だけでは想像しにくかった塔の高さやスケールも、このイメージ図を通すことで一気に立体的に感じられますね。

西塔跡

そして、百済寺跡の一番の見どころはこちらの西塔跡。

東塔の基壇が復元整備されているのに対し、西塔は一見すると少し古びた印象を受けるかもしれませんが、遺跡として残ってきたままの状態で見ることができます。

西塔の案内板

実は西塔は百済寺跡の中でも唯一、奈良時代当時の礎石がそのままの状態で見られる場所。遺跡として残ってきた価値を活かすためにそのまま展示しています。

しかも、現在は誰でも立ち入りが可能で、実際に約1250年前の礎石に触れることもできるんです。

礎石

これが実際の礎石。これほど古い寺院遺構が、都市部のど真ん中でここまで良好な状態で保存されているというのは、全国的にも極めて珍しいもの。

大阪・枚方という現代の街並みの中に、奈良時代の寺院の跡が形を保って残っているという事実こそが、百済寺跡が特別史跡に指定された大きな理由の一つです。

礎石に触れるキラさん

特別史跡は、大阪府内では大坂城跡と百済寺跡の二ヵ所のみだということは冒頭でも触れましたが、実は百済寺跡は大坂城跡よりも先に特別史跡に指定されています。

そもそも特別史跡とは、遺跡や記念物における最上位の国指定文化財。国宝と同等の価値があり、世界遺産となるものがあるほど、学術的・歴史的価値が極めて高いものだけが選ばれます。

何もないように見える場所が、これほどまでに高い評価を受けている。その事実こそが、百済寺跡のスケールと特異性を物語っています。

ARでよみがえる創建当時の百済寺

AR体験

遺構をひと通り見学したあとは、いよいよAR体験へ。

百済寺跡では、スマートフォンを使って創建当時のイメージを立体的に表現するARコンテンツを楽しむことができます。

これは大阪工業大学の学生によって制作されたもので、現地の看板に記載された二次元コードを読み込むだけで体験可能です。

AR体験

画面越しに現れるのは、約1250年前当時の百済寺を思わせる風景。建物の高さや配置が現在の遺構と重なり合い、何もない広場に見えていた風景が、一気に立体的な寺院空間へと変わります。

さらに、AR体験には音声ガイドも用意されており、百済寺を建立した百済王氏の歴史や、背景についても学ぶことができます。

遺構を見るだけでなく歴史を重ねて知ることで、百済寺跡への理解がぐっと深まる体験です。

百済寺跡を現在へつないだ人々の取り組み

百済寺跡の立て看板

いまでこそ綺麗に整備された百済寺跡ですが、かつては様子がまったく違っていたそうです。

大坂城跡と並ぶ特別史跡でありながら、長いあいだ老松や雑木が生い茂り、人が立ち入ることもない荒れ果てた状態が続いていました。

それを大きく生まれ変わらせたのが、1966年の史跡公園としての整備です。全国でもいち早く「史跡を公園として活かす」取り組みが行われ、日本史を理解する上で欠かせない歴史文化遺産が市民の憩いの場として開かれることになりました。

築地塀の復元

そして近年、百済寺跡ではさらなる整備が進められ、その象徴のひとつが寺院の外周を可視化する「築地塀」の復元です。

写真を見ていただくと、奥の塀と手前の塀とでは、色合いや造りにわずかな違いがあるのが分かるかと思います。

奥の塀は現在の技術を用いた「現代工法」で造られていますが、手前の塀は、創建当時の技術を用いた「在来工法」で造られているんです。

築地塀の復元

それがこちら。東門跡より北側、およそ6mの区間です。土を少しずつ何層にも重ねて突き固める「版築(はんちく)」という古代の工法で復元されました。

使う土の選定や、屋根に葺く瓦の紋様・葺き方に至るまで、発掘調査や資料をもとに細かく検証を重ねて復元されたそうです。最終的に完成した築地塀は高さ約3mにも達しています。

近くで見比べてみると、在来工法の塀には土を重ねた層がはっきりと見て取れ、現代工法の塀との違いがひと目でわかります。

西塔と同じく、当時の様子がうかがえるスポットです。

方形街区の復元
百済寺跡・禁野本町遺跡を中心とした方形街区の復元。提供:枚方市

近年の発掘調査により、百済寺跡の北門の先には百済王氏一族が居住していた市街地が存在していたことが明らかになっています。

その市街地は、当時の日本においては国の機関に限って見られる、碁盤の目状に整備された計画的な都市構造を有していたと示されています。

百済寺は一寺院にとどまらず、百済王氏が構想した都市の中心だったと考えられているのです。

百済寺跡

百済王氏の歴史、格式ある寺院、そして計画的に造られた古代都市。百済寺跡は、枚方が古代史の重要な舞台であったことを今に伝える場所だといえるでしょう。

1000年以上前の遺跡に実際に触れられるなんてなかなかできない、とてもクールな体験でした。史跡公園全体も落ち着いたのどかな雰囲気で、古風な感じがかわいらしく、歩いているだけで楽しかったです。枚方の街中に、こんな貴重な史跡が残っていることに驚きました。

特別史跡 百済寺跡(百済寺跡公園)
住所:大阪府枚方市中宮西之町4340
Google Map

歴史散策のあとは地元で味わう和食ランチ

創作和膳うえだ

百済寺跡の散策を終えたあとは、少し足を延ばして、地元で親しまれている食事処へ。

今回は京阪交野線・宮之阪駅を降りてすぐ目の前にある「創作和膳うえだ」をご紹介。歴史散策の余韻に浸りながら、ゆったりと日本らしい食事を楽しめる一軒です。

うえだ膳
ランチの時間に味わえる「うえだ膳(1,650円)」は、天ぷらやお刺身、焼き魚などメイン級の料理を一度に味わえる、満足感のある御膳です。
お刺身
毎朝、店主が市場で厳選して仕入れた鮮魚が提供されており、仕入れ状況や季節によって料理の内容が変わります。
創作和膳うえだの店内
他にも、割烹で修行を積んだ店主による和食をベースにした、さまざまな創作料理を提供しています。

小さな小鉢がいくつも並ぶのは、日本の食文化ならではだと感じました。見た目も繊細で、とてもきれいです。
焼き魚は身がふっくらしていて、いちばん印象に残りました。お刺身も新鮮で、プリッとした食感が楽しめます。
茶碗蒸しは初めてでしたがクリーミーで、上にかかっていた少し甘めのあんがとてもマッチしていておいしかったです。

創作和膳うえだ
住所:大阪府枚方市宮之阪3-1-24
Google Map
営業時間:11:30~14:00/17:00~23:00(L.O.22:30)
定休日:日曜日
電話番号:072-805-0880

旅の締めくくりに。枚方市駅周辺で街の今に触れる立ち寄りスポット

百済寺跡のある宮之阪駅から京阪電車で1駅。 枚方市の玄関口・枚方市駅周辺には、旅の合間に立ち寄りたい気になるスポットがずらりと揃っています。

その中から今回は、散策の締めくくりにぴったりな二ヵ所をピックアップ。歴史歩きの余韻を楽しみながら、枚方の今を感じられるスポットを紹介します。

枚方T-SITE

枚方T-SITE

本屋を中心に、カフェや雑貨店が入る複合施設。建築デザインも印象的で、買い物や休憩をしながらゆったり過ごせます。

枚方T-SITE
住所:大阪府枚方市岡東町12-2
Google Map
営業時間:7:00~23:00
※店舗により営業時間・定休日が異なるので、詳細は各店舗情報をご覧ください。
定休日:不定休
電話番号:072-861-5700

枚方市観光案内所Syuku56

枚方市観光案内所Syuku56

枚方宿の歴史を感じられる観光案内所。周辺散策の情報収集や、お土産探しにも便利な立ち寄りスポットです。

枚方市観光案内所Syuku56
住所:大阪府枚方市岡東町19-1 枚方モール1階
Google Map
営業時間:10:00~19:00
定休日:枚方モールに準ずる
電話番号:072-896-7555

百済寺跡で体感する日本の古代史

百済寺跡

百濟王神社で百済王氏の歩みを知り、百済寺跡では、約1250年前に築かれた寺院と都市構想の痕跡をたどりました。

一見すると静かな史跡公園ですが、礎石の配置や復元された築地塀、ARを通して、枚方の地が古代史の重要な舞台だったことが実感できます。

百済王氏の人々が、日本でどのように生き、何を築こうとしたのか。百済寺跡を歩くことで、その壮大な構想と、いまも解き明かされつつある古代の謎に触れることができます。

何もないように見える場所だからこそ、想像する余地があります。百済寺跡を起点に、古代と現代が重なる枚方の街を、ぜひ実際に歩きながら体感してみてください。

Text:伊藤優(Yu Itou)
Photo:須藤大輝(Daiki Sudou)・平岡里菜(Rina Hiraoka)
Edit:morondo
Direction:人間編集舎

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