太陽の塔、EXPO'70パビリオン、そしてミャクミャクへ。新旧万博のレガシーが集う聖地「万博記念公園」をマニアと歩く

2025年10月、大阪・夢洲を舞台にした「大阪・関西万博」が惜しまれながら閉幕。会場で大人気だったミャクミャクのモニュメントのうち2体は、1970年開催の「日本万国博覧会(EXPO'70)」の跡地、万博記念公園への移設が発表されました。新旧万博のレガシーが集まる公園を、博覧会マニア・二神敦さんとともにめぐります。

吹田市といえば、緑豊かで大阪の中心地からもアクセス抜群。病院や大学・研究施設が集まる、ハイグレードな文化都市のイメージがありますよね。でももう一つ、吹田市を語るうえで忘れてはいけないのが……。

70年万博の画像

今から55年前。日本の高度成長期を象徴する伝説のイベント、1970年開催の日本万国博覧会※1です。
2025年万博と比べても会場の広さは約2倍、来場者数は2倍以上※2を記録するなど、当時の万博は驚くべきスケール! その広大な跡地にできたのが、今回紹介する「万博記念公園」です。
今後はこちらに、2025年万博のミャクミャクモニュメントも移設される予定。新旧レガシーが集まる、まさに「万博の聖地」となる場所なのです。

※1:2つの万博を区別するため、1970年開催の万博は「70年万博」、2025年開催の万博は「2025年万博」と表記します。
※2:来場者数は70年万博は約6,400万人、2025年万博は約2,900万人。

そんな万博記念公園をガイドしてくれるのは、博覧会マニアの二神敦さん。
二神さんは、凛々しい立ち姿とイケメンボイス、まるでスタンダップコメディのようなトーク力を駆使して、長年万博記念公園をガイドしてきた「70年万博のスペシャリスト」です(取材チームは全員ノックアウト)。

70年万博の模型の前に立つ二神敦さん
巨大なスケールの70年万博を知り尽くす二神さん

中央口のゲートから、70年万博のシンボルともいえる「太陽の塔」がこちらを覗いています。それでは、二神さんからあふれ出す万博ナレッジを、写真とともにお楽しみください!

万博記念公園駅の中央口
中央口は、大阪モノレール「万博記念公園駅」を降りて徒歩約7分

ちなみにこの公園、超でかいので覚悟してくださいね。

Guide

人物紹介画像
二神 敦(Atsushi Futakami)

博覧会マニア/万博記念公園ツアーガイド。8歳のときに訪れた「ポートピア博」(1981年)を皮切りに、万博は16カ所、博覧会は170カ所以上を訪れてきた万博&博覧会マニア。会社勤めの傍ら、休日は万博記念公園のツアーガイドも務め、2025年の大阪・関西万博ではボランティアスタッフとして活動。オープン以降はほぼ毎日会場に通ったという強者。万博の情報発信のため、ラジオやテレビなどにも出演。博覧会と名のつくものなら津々浦々へ飛んでいく。

どんだけでかい!? 万博跡地に生まれた自然公園

はじめに、おさらいしておきましょう。
「万博」とは万国博覧会の略。複数の国が自国の技術・文化・芸術を発表し合う、国際的な博覧会の呼び名です。

万博は産業革命で急成長したイギリス・ロンドンの第1回(1851年)にはじまり、エッフェル塔が建てられたパリ万博(第4回、1889年)など、世界各国で開催を続けてきました。

そして1970年、アジアではじめて万博の開催地が日本に決定。会場となったのが、日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」が生まれた千里丘陵でした。
第二次世界大戦の敗戦からわずか25年。高度成長期のまっただなか、竹林が広がっていたこの地に、世界中のパビリオンが立ち並ぶ「未来都市」が誕生したのです。

上空から70年万博の写真
70年万博の開催当時の航空写真
70年万博太陽の塔
太陽の塔と、その前に広がるお祭り広場

今日は、当時の名残を求めて、70年万博の象徴的存在である太陽の塔、記念館として活用されている旧鉄鋼館(EXPO'70 パビリオン)、それらを内包する自然文化園を散策しながら、最後に政府の出展施設だった日本庭園をめぐります。

70年万博のテーマは「人類の進歩と調和」。携帯電話もスマートフォンもない時代に、世界中の「最先端」が集まる会場を、当時の人はどんな気持ちで訪れたのでしょう?

万博記念公園
住所:大阪府吹田市千里万博公園
Google Map
営業時間:9:30~17:00(最終入園16:30)
休園日:水曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始
※4月1日~5月2日まで・10月・11月は無休
電話番号:06-6877-7387/0570-01-1970(万博記念公園コールセンター)
料金:大人260円、小中学生80円、未就学児無料(自然文化園・日本庭園共通)

「人類の進歩と調和」へのアンチテーゼ!? 岡本太郎の挑戦的設計

万博記念公園といえば、太陽の塔ですよね。中央口から入ってすぐ、とてつもない存在感でそびえ立つ、岡本太郎作のモニュメントです(モノレールからも見えます)。

太陽の塔を下から
角度を変えるたび、違った表情を見せる。真下から見ると尖った口がかわいい
太陽の塔背面
太陽の塔の後ろ姿。黒い部分は信楽焼のタイル、青と赤い部分はイタリア産のタイル

太陽の塔はもともと、万博の統一テーマ「人類の進歩と調和」を表現する「テーマ館」の一部として設計されました。

実は岡本太郎は、テーマ館プロデュースの依頼が来た時、制作には消極的だったそう。近代化は人間から原始的な生命力を奪っている、と感じていた彼にとって、万博のテーマ「人類の進歩と調和」は、納得のいかないものだったのです。

しかし最後は制作を受けることを決めた岡本。テーマ館の大屋根を突き破る、異物としての「太陽の塔」からは、彼の熱い想いがうかがえます。

70年万博当時の太陽の塔
70年万博にて、太陽の塔を後ろから望む

太陽の塔の内部は、予約制で見学も可能。爆発する岡本太郎ワールドに、ぜひ没入してください。

現在の太陽の塔内部
太陽の塔の内部では「生命の樹」に生物模型が取り付けられ、進化の過程が表現されていた

太陽の塔をきれいに洗浄する話も出ているそうですが、私はこのままでも味があっていいな〜と思ってます。

最後に、岡本太郎の名言をいくつか残しておきますね。

「何が進歩だ。人類は少しも進歩などしていない」
「皆で妥協する調和なんて卑しい」
「同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ」
強烈なメッセージを心に刻んだところで、いざ70年万博の記念館「EXPO'70 パビリオン」こと「旧鉄鋼館」へ! 当時のリアルな空気を感じに行きましょう。

現存するパビリオン・旧鉄鋼館で、1970年の熱気が待っていた!

エントランスでまずは、二神さんから当時のロゴマークの由来について教わります。

旧鉄鋼館エントランス

桜の花びらで世界の5大州、真ん中の丸で「日の丸(=日本)」が表現されています。このデザインは、日清食品「カップヌードル」のパッケージデザインを手がけた大高猛さんの作品なんですよ〜。

ちなみに、ミャクミャクのおめめを取り外すと……あら不思議! 70年万博のロゴマークになりました。今回のロゴマークは、70年万博の想いを受け継いだデザインだったんですね。

ミャクミャクの目をホワイトボードに張って

エントランスの階段を上がると、大きなジオラマが。ここで改めて、当時の会場全体を俯瞰できます。

ジオラマを前にする案内人

今でこそ万博記念公園のシンボルは「太陽の塔」になっていますが、当時の本当のシンボルは127メートルの展望塔、エキスポタワーでした。

ジオラマについて語る案内人
エキスポタワーの一部は、EXPO’70パビリオンの入り口付近に展示されている。探してみよう

このタワーは人間が建物に合わせるのではなく、建物が人間に合わせて有機的に変化する「メタボリズム理論」に基づいて設計されており、タワーにくっついた球体は、用途に合わせて取り外しができる設定でした。

太陽の塔は、ある少年の「なんとか取り壊さなくても済むように工夫してほしい」という手紙をはじめ、多くの人の希望で、取り壊しが急遽中止に! パワーを感じるエピソードですよね〜! その少年こそが、後に「万博マニア」として有名になった藤井秀雄さんなのですよ。

スタートから知識が止まらない二神さんですが、これはまだまだ序の口。さぁ、ここからムーディーな空間に入ります。

旧鉄鋼館の廊下を歩く案内人
66、67、68……足元に刻まれる数字は、1965年に開催が決定してからの道のりを表現したもの。急ピッチで準備が進められた

最新技術とセンスが爆発! スペーシーな音楽ホール

今私たちがいる「旧鉄鋼館」は、音と光のパビリオンとして日本鉄鋼連盟が出展したものでした。

「スペースシアター」と呼ばれるホールは全体が巨大な楽器に例えられ、前衛音楽とレーザー光線によるショーが人気を集めました。当時のまま残されているホールがこちら。1,008個のスピーカーが天井・壁・床下に配置されています。

※現在は完全に閉鎖されていて、ガラス越しでの観覧のみ可能

スペースシアター内の画像
最新のエレクトロニクス装置とコンピュータの制御システムを持ち、残響時間まで設計され尽くしていた

日本初、さらにはアジア初の万博。前例が全くない一大プロジェクトでしたが、斬新な企画から「やってやるぞ!」という気概を感じますよね。

多くの常識がここから生まれた!? 一つの時代を作った70年万博

国民の約6割にあたる人数が訪れた70年万博。閉幕直前には1日の入場者数が83万(当時の佐賀県の人口とほぼ同じ)を超え、帰宅難民になった約4,000人が会場周辺で野宿、さらには万博会場で産気づき、緊急搬送先で出産する人が登場するなど、その熱狂ぶりは常軌を逸していました。

70年万博のデータが壁に展示されている
数字で見る70年万博。異常なまでの加熱ぶりがよくわかる

こうした状況で、日本に広まった文化もたくさんあります。例えば男女をモチーフにしたトイレマーク。当時ピクトグラムはまだ一般的でなく、みんなこのマークを見ても「はてな?」だったそうです。

そのほか、ヨーグルトやフランスパン、缶コーヒーなど今では身近な食べ物も、万博で一躍人気になったそうです。

ピクトグラムを紹介する案内人

携帯電話もインターネットもなかった時代、情報伝達の手段はもっぱら「紙」が中心。各パビリオンが展開したパンフレットの展示コーナーも見応えがありますよ。

当時のパンフレット紹介

今はQRコードをスマートフォンで読み込むのが一般的。印刷コストがかからないなどメリットもありますが、改めて見ると紙で残す意義も感じますよね。

初代・黄金の顔に、至近距離でご対面!!

異次元にワープするかのようなスロープ

突然、異次元にワープするかのようなスロープが現れました。
吸い込まれていく二神さん。一体どこに向かうのかーー!?

当時のスタッフ衣装の展示
世界的にミニスカートが大流行していた

スロープの先には、ホステスのユニフォームや記念スタンプなど、貴重な展示がずらり。こちらは、2023年8月にオープンした別館です。そして次の瞬間……。

初代「黄金の顔」

ドーーーーーーーン!!!
70年万博の開催時、太陽の塔の頂部に設置されていた、初代「黄金の顔」がいきなり登場。

「黄金の顔」と案内人の比較
直径 10.6m。二神さんと比べるとこれくらい。解体して保管されていた

太陽の塔には4つの顔があります。正面には現在を表す「太陽の顔」、頂部には未来を表す「黄金の顔」、背面には過去を表す「黒い太陽」、地下には「地底の太陽」。地底の太陽は、閉幕後から行方不明なんですよ〜。

初代・黄金の顔は、スチールに亜鉛メッキを施した鋼板製でしたが、錆びるリスクが高いので、現在はステンレス鋼板のものに交換されているそうです。

そのほか、別館の展示も見所がたっぷり。取材チームはこのへんで「全然、時間が足りないぞ!?」と気づきはじめました。

太陽の塔の模型
70年万博の統一テーマ「人類の進歩と調和」を象徴する存在だった「テーマ館」の模型。大屋根をぶち抜く形で、太陽の塔がそびえ立っていた
恐竜の展示物
太陽の塔内部に展示されていた生物模型のレプリカ
地下の太陽の模型
現在行方不明となっている「地底の太陽」の1/10スケール
太陽の塔シャッタースポットの模型
太陽の塔気分を味わえるシャッタースポット
EXPO’70 パビリオン
住所:大阪府吹田市千里万博公園 自然文化園内
Google Map
営業時間:10:00~17:00 (最終入館16:30)
休館日:万博記念公園に準ずる
電話番号:06-6877-7387/0570-01-1970(万博記念公園コールセンター9:30~17:00)
料金:500円(中学生以下、保護者同伴にて無料)
※別途、自然文化園・日本庭園共通入園料が必要

知る人ぞ知る、公園最奥の日本庭園でひと休み

EXPO'70 パビリオンで、ものすごい情報量を脳にぶち込んだ取材チームは、癒やしを求めて、公園の北側に位置する日本庭園へーー。当時の日本政府が日本の造園技術の粋を集めて造った名園です。

日本庭園の入り口
年季の入った建物が日本庭園の入り口(正門)

正門をくぐって中に進むと……。目の前に広がる、池泉回遊式庭園の大パノラマビュー!!さすが、政府入魂の出展。想像を遥かに超えるスケールです。

日本庭園の景観
日本庭園の模型
日本庭園の全体像はこんな感じ(「EXPO’70」の展示より)

上代・中世・近世・現代と、4つの様式を取り入れた造園が、西から東へ流れる水とともに緩やかに繋がり、心地よい散歩道を形成しています。池に面した中央休憩所には、喫茶スペースも。

趣味で100キロマラソンを走るという二神さんは、どれだけ歩いても疲れを知りません。しかし、取材チームはたくさん歩いて疲れたので、ここらで休憩しましょう。

日本庭園内のテラス
庭園はハイキングコースとしても人気。テラスでお弁当を食べる人も多い
吹田くわいワールドコネクトコーラ
吹田市の伝統野菜・吹田くわいを使った「吹田くわいワールドコネクトコーラ」。14種類のスパイス&ハーブに、吹田産のレモンやゆず、大和当帰、大和橘を加えたスパイシーな味わい

さて、散策の再開です。庭園内を歩いていると、次々と新しい景色が現れます。のんびり散歩したり、本を読んだり、いろんな楽しみ方がありそうです。

茶室「千里庵
禅院の方丈を象った茶室「千里庵」。ベンチに座ってゆっくりできる
竹林の中にある歩道
開拓前の風景を思わせる竹林
庭園内の小川
水の流れで「人類の進歩」と「時の流れ」が表現されている

自然に包まれてゆっくりできましたか? 当時の人たちも、未来的なパビリオンをめぐった後、変わらない自然の姿に癒やされたのだと思います。期間限定で開催される呈茶のイベントもおすすめですよ。

日本庭園
住所:大阪府吹田市千里万博公園
Google Map
営業時間:9:30~17:00(最終入園16:30)
休園日:水曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始
※4月1日~5月2日まで・10月・11月は無休
電話番号:06-6877-7387/0570-01-1970(万博記念公園コールセンター9:30~17:00)
料金:大人260円、小中学生80円、未就学児無料(自然文化園・日本庭園共通)
日本庭園中央休憩所内 喫茶 和み(なごみ)
営業時間:10:00〜17:00
※フード(ランチ)メニューは11:00〜14:00
※店内ドリンク提供はラストオーダー16:30
定休日:万博記念公園に準じる

見所無限、コスパ最高の万博記念公園

太陽の塔うしろから

公園内をぐるりと回って、帰って来ました、太陽の塔! 後ろ姿もかっこいい。

二神さんの充実したガイドもあり、今日は時間が全く足りない事態に!! 1970年の日本の熱狂ぶりに圧倒されっぱなしの1日でした。

当時の社会が持つエネルギーを肌で感じるものの、もう二度とあの日は戻らない。少し切ない気持ちになりながら、そろそろ二神さんとお別れの時間です。

夢洲の会場では、大屋根リングが残される計画が進んでいますが、ケーキのように切り分けた一部のみになりそうですね。後世に残したい思いはありつつ、維持費は相当なもの。悩ましいところですね。

ペーパークラフトで作られた1/300スケールの模型
ペーパークラフトで作られた1/300スケールの模型。亀岡在住のサラリーマン・進太郎さんの力作

それにしても、公園のスケールの大きさには改めて驚きます。70年万博開催当時の姿をとどめる大阪日本民芸館、1974年にできた国立民族学博物館(通称、みんぱく)など、気になるスポットもまだまだあります。訪れた際はぜひ、今日紹介したスポット以外にも、1970年の面影を探してみてくださいね。

遠目にみる太陽の塔
「待ってるよ」と言っているように見えたり、見えなかったり
Text:高嶋まり子(Mariko Takashima)
Photo:平野明(Mei Hirano)
Edit:トミモトリエ(Rie Tomimoto)
Direction:人間編集舎