大阪最南端の市である阪南市は、海と山にかこまれたのどかなまち。そのまちの一角には、創業から300年以上の歴史を持つ、大阪府下で最古の酒蔵があります。阪南の豊かな風土を取り込んだ日本酒と、新鮮な海産物を求めて、イタリア出身のジュゼッペさんが訪れました。
大阪市中心部から和歌山方面に約45km。関西国際空港よりもさらに南に位置し、山をひとつ越えるともう和歌山県。阪南市は、大阪府下でもっとも南に位置する市です。日本屈指の大都会である大阪市から電車で1時間ほどの距離でありながら、青々としたビーチや和泉山脈の山々など豊かな自然を有するのどかなまちです。
そんな阪南市には、地元のお酒をつくり続ける大阪府下で最古の酒蔵があります。2025年段階で、なんと創業から309年の老舗。創業当時の姿を残したままの蔵では、見学と試飲を楽しむことができます。
Guide
日本在住1年目。日本とイタリアの文化や人々を繋げる仕事をしながら、文化や伝統、知られざる名所に強い関心を持ち、まだ知られていない日本各地の魅力を探し歩いている。
創業は1716年! 大阪府下最古の酒蔵「浪花酒造」で、300年続く昔ながらの蔵を見学
南海本線尾崎駅から徒歩6分ほど、昔ながらの建物が建ち並ぶ旧街道沿いの一角にある「浪花酒造」にやってきました。
創業はなんと1716年。
日本では江戸時代、徳川吉宗が8代将軍に就任した年で、世界ではヨーロッパ諸国で巻き起こったスペイン継承戦争が終わったあたり!
……と聞いてもピンとくる人、こない人それぞれだと思いますが、浪花酒造は300年以上の歴史を誇る老舗。大阪府下では最古の酒蔵なのです。
しかしながら萎縮してしまうような緊張感はなく、蔵にはやってきた人を穏やかに迎え入れてくれるおおらかな雰囲気が漂っています。すぐ近くに海があるため、時おり吹く風には潮の香りがふわり。
案内していただいたのは11代目蔵元、代表取締役の成子善一さん。2025年の7月に、お父様から代替わりしたばかり。由緒ある蔵の歴史を次へと繋げる若き代表です。
蔵に入ってすぐ、土間のなかに鎮座するのが大きな井戸。石組みの巨大な井戸のなかには澄んだ水がたっぷり湛えられていました。
覗き込むと、思わず「wow……!」と声が漏れるスケール。
「浪花酒造のお酒はすべて、この井戸から組み上げた水を使っています。創業当時から枯れたことのない自慢の井戸です。井戸の水は、和泉山脈の伏流水。その伏流水が、海に近いこのあたりの地層を通ってくることでほどよくミネラル分を取り込んだ風味になるんです」と成子さん。
また、浪花酒造では、酒米としてもっともメジャーな山田錦だけではなく、あえて阪南市や隣市で育てられた地元産のお米でも酒造りをおこなっていると成子さんは話します。使用する地元のお米は、手作業・無農薬にこだわっているものもあり、年間につくることができる量はごくわずかだそう。
「昔からつくってきた味を守ることはもちろん、いままでお酒造りには使われてこなかった地元のお米を使って、この地の水とこの地のお米だからこそできる味を模索していきたいんです」と話す成子さん。
「その土地の水、その土地の米だから醸される味がある。まさにワインでいうところのテロワールですね!」とジュゼッペさんも唸ります。
蔵の建物は国の登録有形文化財に指定されており、創業当時の姿を残して使い続けられています。ここは蒸したお米を冷ますための部屋。
上下左右にガッチリと組み合わさった立派な梁(はり)が印象的です。巨大な木をまるまる1本使った梁は現代ではなかなか手に入らない逸品。しかも、釘を使わずに組み立てられています。
昔の日本人は現代よりも身長が小さかったため、古い建物はいまの日本人からしても天井が低いことがよくありますが、身長の高いジュゼッペさんは簡単に梁に手が届いてしまいました。300年以上の時間、蔵を支えてきた骨組み部分を気軽に触ることができるのは貴重かもしれません。
「昔の職人たちの技術の高さが素晴らしいですね。天井のつくりや梁を間近に見る機会は少ないので興味深いです。こんなふうになってるんだなあ……」。
成子さん案内のもと、蔵のなかをぐるりと一周しました。
こちらは蒸した米に麹菌をつけ、米麹を育てるための麹室。酒造りは冬におこなわれますが、麹室は菌の繁殖をうながすために蒸し風呂のような暑さになるそうです。
蔵の1階にはお酒を貯蔵する巨大なタンクや、できあがったお酒を搾る圧搾機が置かれた部屋などもありました。蔵を一通り見て回ることで、酒造りの一連の流れを知ることができます。
大正ロマンなお屋敷へ! 会長自らのお琴演奏があることも?
酒蔵だけではなく、酒蔵に隣接するかつての住居「成子家住宅」も見学することができます。
1916年に建てられた、大正時代の趣をいまに残す大型町家。いまは住居としては使われていませんが、見学者のために開放されており、建物内に実際に入ることができるほか、映像資料の観賞などが可能です。
大広間から繋がる縁側の向こうには日本庭園が。石燈籠のほか、鯉が泳ぐ池などが配された趣のあるたたずまいです。
特徴的なのは、掃き出し窓のガラス。近づいて見ると、ガラスの表面がわずかに波打って不思議な光景を生んでいます。
「大正時代につくられたガラスなんです。手作業でつくられているため、厚さが均一でないんですね。それが独特の波打った模様になっているんです」と成子さん。
比較的自然災害が多い日本で、100年以上前のガラスが割れることなく美しさを保っているのは、非常に貴重と言えそうです。
また住宅内には、ステンドグラスやピアノなど、豪奢な調度品が並んだ洋風の応接間に……。
侘び寂びを感じる茶室まで兼ね備えています。代々の蔵元は、ここで客人にお茶を振る舞うなどしていたのかもしれませんね。
世界的な抹茶ブームの昨今ですが、本格的な茶室に入るのははじめてだというジュゼッペさん。「どんな立場の人も頭を下げて入るように」とつくられた入口「にじり口」の狭さや、畳に埋められた炉を興味深そうに見ていました。
なお、茶室には琴が置いてありますが、これは会長である成子さんのお父様のもの。タイミングによっては、見学者に琴の演奏をおこなうこともあるそうです。
試飲で知る日本酒の多様な味わい。希少なお酒の購入も可能
見学で日本酒のつくり方や阪南市の土地の特徴などを学んだあとは、直売所で試飲とお酒の購入。
イタリア出身のジュゼッペさんは、普段の晩酌といえばやはりワインが多いそう。
「日本酒はワインとも共通項が多いお酒ですが、まだ知らないことも多いんです。こうして飲み比べができるのは楽しみです」と、ずらりと並ぶ商品に期待も高まる様子。
「飲みすぎないようにしないといけませんね」とジュゼッペさん。
今回試飲でいただいたのは、この4種類。
右から、
- 浪花正宗(なにわまさむね) 金賞受賞酒 大吟醸
- 波有手石田(ぼうでいしだ) 純米吟醸
- 浪花正宗(なにわまさむね) 夏生 純米吟醸
- 善酔(よいよい)さくらスパークリング
成子さんが手にしている波有手石田 純米吟醸。「波有手」、「石田」は、お米をつくっている阪南市の地名だそうです。
成子さんにそれぞれを解説してもらいました。
「『浪花正宗 金賞受賞酒 大吟醸』は、浪花酒造の醸造技術の結晶とも言える1本です。酒米の王様である兵庫県産の山田錦を60%も削って、雑味のないクリアな味を引き出しています。『波有手石田 純米吟醸』は、地元のお米を使ったもの。地元の水と地元の米を使ったテロワールを感じられるお酒です」。
「『浪花正宗 夏生 純米吟醸』は、爽やかさが特徴の夏季限定酒。一度も火入れをしていない生酒なので、フレッシュな風味を味わってもらえます。『善酔さくらスパークリング』は、近隣の堺市で育てた古代米を使った発泡タイプの日本酒です。古代米を使っているため、ジューシーな酸味と甘味が特徴です」。
「!」
口に含んで、味わいの広がりに驚くジュゼッペさん。
「この大吟醸、お米だけなのに桃のような甘みと香りが広がります! とってもおいしいですね。フルーティーで繊細な風味なので、食後酒としてリラックスした時間に楽しみたいです。すべて地元産だという『波有手石田』 は、ワインでいうところのミディアムボディ。お肉料理に合いそうです」。
「青いボトルの『浪花正宗 夏生 純米吟醸』は、紹介してもらった通り、いい意味でストロングさがなくとても爽やか! これは魚料理と合わせたいですね。お寿司など和食だけじゃなく、カルパッチョなど西洋の料理とも相性がよさそうです」。
1本1本手にとってはお酒をグビリ。それぞれ際立った味で、ジュゼッペさんの試飲の手が止まりません。
「『善酔さくらスパークリング』はまさにイタリアで言うところのプロセッコ。甘酸っぱくて、甘酸っぱくて華やかな香りがです。パーティーの始まりや、陽気な飲みの時間にぴったりだと思います。これは気をつけないと本当に飲みすぎてしまうな!」。
「同じ水でも、異なる米や磨き方でこんなにも味にバリエーションが出るんです。しかし、勝手にできるというわけではなく、狙った通りの味を表現するのはやはりつくり手の技術によるところが大きいんです」と成子さん。
酒造りのほぼすべてを手作業でおこなう昔ながらの酒蔵ですが、醸造データの蓄積にAIを活用するなど、技術継承のために新しいアイデアを取り込み、次世代に浪花酒造の味を継承するため奮闘しています。
ワインと同じくテロワールの考え方が日本酒にもあるのが興味深かったです。 実際にお酒がつくられている現場を、蔵の方の紹介で見学できたのはとてもいい経験でした。 蔵を見て回ったからこそ、そのあと飲む日本酒のおいしさが違ってきますね!
古き良きまち並みが残る旧街道を散歩
酒蔵を出たあとは、近隣のまち並みを眺めながらぶらり散策。
この一帯は「浜街道」と呼ばれ、泉佐野や泉南から紀州・和歌山までを繋ぐ海沿いの道。往時の賑わいを感じさせる古い建物がいまも道沿いに残っています。
お寺の境内を横断するように伸びる立派な松に驚愕!
街道の突き当たりにある「清水弘法大師」には、浪花酒造の井戸と同じく海沿いでありながら真水が溢れる湧水「弘法大師の水」が。
一口、口に含んだジュゼッペさんいわく「ミネラルが豊富でうまみを感じる味」だそう。
「えびの浜」と言われる浜にも立ち寄りました。ここは海水浴場ではないため砂浜の整備などはされていませんが、秋祭りの際には神輿が海に入る神事がおこなわれる、地元民にとっては大切な海岸。
イタリアにいる時はバカンスシーズンになると、よく海へ出かけていたので、海にはとても馴染みがあります。このあたりは昔から賑わっていたんですね。白壁の古風な建物が並ぶ様子は美しかったです。
海の幸に山の幸も! 阪南市のおいしいものが集まるショップへ
街道を少し内陸側に数分歩いたところにあるのが「阪南ブランド館 匠のippin」。阪南市の商工会が運営するショップで、市内のさまざまな名産品が購入できます。
全国的にはあまり知られていませんが、阪南市など大阪南部の海は、海苔の一大産地でした。高齢化や収穫高の低下などで、現存する海苔養殖者さんは市内に
3事業者
だけとなってしまいましたが、おいしい海苔は健在です。
大阪泉州
の一大ブランドである水茄子のほか、「なにわ黒牛」というブランド牛など、野菜・畜産も盛んな阪南市。ここに立ち寄れば陸海の地元グルメをくまなく購入できます。
地元生鮮品は
お土産には向きませんが、キッチン付きの宿に宿泊した際は地場の食材で料理を楽しんでみるのも旅の醍醐味かも。
世界的にも「SUSHI」がメジャーとなるなかで、大阪の海苔を買って帰ることができるのはいいですね。お土産にも喜ばれそうです。阪南市周辺は「水茄子」という、梨のような味わいの茄子が名産だそうですが、いつか食べてみたいですね。水茄子のジャムがあったのは驚きでした。
地元の居酒屋で浪花酒造と地魚を食べる
旅の最後を飾るのは、やっぱりおいしいもの! 近隣での散策を終えてやってきたのは、浪花酒造の近くにある居酒屋「彩食献味 粋込」です。
こちらは成子さんおすすめのお店で、浪花酒造のお酒もいただけるのだそう。
浪花酒造はなかなか府外に出回らないお酒のため、宿泊や移動の関係で持って帰れないという方は、お店で食事と一緒に楽しむとよいですね。
地元青年団によるお祭りのグッズが所狭しと並んだ座敷。大阪市内出身の店主が、縁あって阪南市にお店を構え、もう21年になるそうです。
お店イチオシの「活〆穴子の天ぷら葱まみれ」。山盛りのねぎで下が見えない!
合わせるお酒はもちろん浪花酒造のもの。この「さか松」という銘柄は流通限定ブランドで、本当に限られたところでしか味わえないお酒。
「活〆穴子の天ぷら葱まみれ」を頬張るジュゼッペさん。
「ふわふわの穴子と天ぷらの衣のサクサク感、そこにネギのピリッとした風味がアクセントになってとてもおいしいです」と、お気に入りの様子です。
「このあたりは海沿いのまちなので、やっぱり魚の新鮮さにはこだわりを持った人が多い。新鮮な海産物をどうおいしく提供するかはこだわっているポイントですね」と店主。いただいた穴子や鰆、造り盛りの蛸や鱧などは、近海の海で獲れたものだそうです。
通常、魚の競りといえば早朝に開催されることがほとんどですが、この一帯の漁港では午後からおこなわれる「昼競り」があるのだと言います。午後に水揚げされた魚が獲れたてのまま数時間後には飲食店や各家庭へと並ぶというのだから驚きですね。
気取らないなかに、地元民たちを満足させる店主の腕を感じることができる料理に、ジュゼッペさんのお猪口もすいすい空いていきました!
イタリアにも、天ぷらとよく似たフリットという揚げもの料理があるんですが、「活〆穴子の天ぷら葱まみれ」はたっぷりのねぎと、醤油ベースのタレがかけられていて、日本酒にとても合いました! 近隣で獲れた魚を、その土地のお店でその土地のお酒と共に楽しめる、豊かで楽しい贅沢のひとつですね。
「この土地だからこの味をつくることができる」阪南市の豊かなお酒と食文化に触れる旅を
「イタリアでも日本酒が手に入る機会はどんどん増えていますが、やはり輸入コストもありますし、種類も限られています。こうして飲み比べながらいろんな味の日本酒を楽しめてとても学びになりました! 」とジュゼッペさん。
ひとつの酒蔵でも、さまざまな味をつくることができる技術の高さと、その土地がもたらす個性を見て、聞いて、味わえるのは、酒蔵見学の醍醐味。
日本の食やコミュニケーションに欠かすことのできないお酒の魅力を、ぜひ阪南市から知ってみてはいかがでしょうか。
Photo:高津祐次(Yuji Takatsu)
Edit:高津祐次(Yuji Takatsu)
Direction:人間編集舎